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(社)人間性復活運動本部

理事長 三角正明


人間一人一人の
物の見方考え方が
全体を動かしている

 世の中では修羅場があちこちで展開されています。命のやり取りの争いが行われています。

 人間は地球上で、一人一人が自分の人生を生きています。各人はこの地球上に生まれて、何をしようとしているのでしょうか。自分のバックにあって自分を動かすものが何かあるのではないでしょうか。それは一体何なのか。考えてみると、雪山の頂きをひとり行くこの写真のように、一人一人は、大自然の中に「生かされている」というのが原点だと思うのです。

 映像で見るとわかるように大自然というのは気高いものです。優しくすべてを抱きかかえているが時に荒々しく厳然とした姿を人間に示す大自然。そこに静かに目を向けてみるのが人間として生きる基本ではないでしょうか。

 地球は生命の躍動する星です。そしてこの星の上に生きている人間は動物と違って、その豊かさと厳しさを甘受するだけではなく、欲望を膨らませて富の追求に余念がないのです。

 今年起きた事件をいろいろ考えてみますと、問題がたくさんあるわけです。人間性がその荒廃の極地まで来ているのではないかと思われることばかりです。いじめ、暴力、殺人。個人的にも集団的にも国家的にもこういう姿が溢れています。

 この背景にあるのは何なのかと言うと、確かに社会的制度の不備とか様々な問題はあるかもしれないけれど、最終的には人間一人のものの見方、考え方がその基盤にあって全体を動かしているのです。

いじめは、
被害者の側から
見ることが大切

 最近話題になっているいじめについても、子供の世界だけではなく、大人の世界のどこにでもあります。特に最近はリストラなど日本における職場環境は激変していますので人間関係は複雑です。

 今までは就職したら安泰にそこで働けたのに、時代の変化は速くて、職場環境の変化に一人一人が対応していくのが大変ですから、拠り所が一人一人の心の中から無くなった。不安定の中に放り出されている自分の不安が他人をいじめる原因なのかもしれません。いじめる人もいじめられる人も、どっちも問題を抱えています。

 でも、やはりそれはちょっと違うのではないか。発想を転換させていかなければならない時代に来ています。というのは、あくまで被害者の側から見ることが重要で、それが出来ているのかと自分に問いかけることが必要なのです。

 セクシャルハラスメント、パワーハラスメント、アカデミックハラスメントが問題になっております。人々がいじめに遭遇する状況を予防することが大切なのです。

 企業の中で、セクシャルハラスメントが絶対に起こらない企業として資生堂が挙げられておりますが、セクシャルハラスメントが起きても不思議はない企業と二分割されている時代です。

 私は大学に勤めていますが、アカデミックハラスメントも問題になっていて、各種ハラスメントを予防する委員会を立ち上げて防止に取り組んでいます。アカデミックハラスメントと言うのは、教授が学生を追い詰めるわけです。教授の権力を強く行使して学生の言い分を聞かない。学生は行き場がないというか、やり場がないという状況に陥る。

 職場でも、上司と部下との間で様々な問題が起きています。上司としての権力を思慮なく押し出すというパワーハラスメントをしていると認定される上司は四タイプに分かれるそうです。

@自己中心的な上司。過度に自分を主張するわけです。自分に自信があるのでしょうけれど、過度になり過ぎる。かつての自分の成功経験を押し付ける。そして部下の無能を槍玉に挙げ、性格を批判する。

A過干渉の上司。部下の自主性を全く認めない。プライバシーにまで踏み込んで指示して来る。

B事なかれ上司。上司としての指導性をまったく発揮しないで、自己保身にだけ汲々とする。

C無責任上司、不満や会社の悪口は言うのに、自分としての責任は全く取らない。

 このような様々なタイプの人達がいて、それぞれが問題を引き起こしている現状があります。
物質的な栄耀栄華ではなく
精神的向上を目指して
人は生きる

 自分の気持ちだけで動くのではなく、相手の意見を聞いてみようとする気持ちがあるのか、それが一番の問題です。

 人の気持ちに気付けるか、ここが人間としての大きな課題です。一人一人が自分自身を向上させていかねばならない課題を持っているのに、これに気が付くかどうかなのです。自分という人間をもう一歩深く見るということが、必要なのです。二十一世紀を迎えて、依然として戦争をしている人類の根本的な問題を考えてみようという時代に入っていると思います。

 人間は肉体を持ち、精神を持っている。肉体と精神が合体している存在が人間だと言うことは誰もが知っています。

 肉体は死ねば無くなりますが、死後も人間の活動は続いて行くはずです。そうでなければおかしいと私は思います。一人の人間として様々な活動の中で、喜びも悲しみも苦しみも味わって、自分の取った行動は正しかったのだろうかと自分の中でまとめつつ、次に活かしていってこそ生きる意味があるはずです。

 物質的な栄耀栄華を目指すのが目的ではなく、精神的な向上を目指して人は生きる。それが人間性復活の基本的な人間観です。

 今私が経験していることが、未来に繰り越されて私の未来を作っていく、という思想を持つか持たないかで、戦争に対する考え方は百八十度転換します。戦争で殺し合いをしてはならないことがはっきりと分かります。

 必ず現在が未来に繰り越されていく、そして人は自分の宿題を抱えて、宇宙を旅して行くのです。地球での経験を次に生まれる別の星で活かしていくのだと考えると心も雄大になります。

 この地球で生かされている自分、という思いを人類が共有するまでに高まらなければなりません。人生経験を重ねて、自分の知識を広め、人間としての判断力を高めて行くのです。

 権力者は、冷静に自分を眺められるかといえば、これは難しいことです。権力とお金があれば、自分の思う通りに出来る。静かに自分を見つめて、一人の人間としての自分の課題は世のため人のために動くことだと考える人は少ないでしょう。自分の欲望の満足に走って人を支配したくなる。そうすると、人間性が復活するどころの話ではありません。それは人間性を喪失して行く道です。

自分とは違う
他人をそのまま
認めていく

 でもそういう人々が多いということは、それをどうにかして行かなくてはなりません。自分を見つめて、自分を良くしていくための反省が出来るのかどうかです。

 全てにおいて自分とは違う他人、それをそのまま認めていく。その上で、一歩向上すべく共に歩む。それは高い精神性を求めてこそ出来ると思います。私たち、庶民一人一人が足元の家庭の中でそれが出来ていかなければなりません。そうでなければ、互いに憎みあって相手を否定するのです。

 これでは、精神の貧しさから永久に脱皮できない。従って、共存共栄という心を、個人的に生きる日々の中でも発揮していく方向性を目指して行くことが人間性の復活であり、人類に未来が開けることであり、進歩していけるということです。


 
人間一人一人の
物の見方考え方が
全体を動かしている

いじめは、
被害者の側から
見ることが大切

物質的な栄耀栄華ではなく
精神的向上を目指して
人は生きる

自分とは違う
他人をそのまま
認めていく

 

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